喜岡城

別名 高松城  付近住所 香川県高松市高松町1727-5 現在 喜岡寺
2007/11/16 碑・案内板アリ 日本城郭大系


高松頼重 鎌倉時代の末期、建武の中興の功臣・舟木(高松)頼重が讃岐守護職としてこの地に城を構えていたが、建武2年(1335)11月26日、足利尊氏の臣・細川定禅らの軍勢に攻められ、老父一族14人と郎党30余人が討死し、落城した。
その後、ここ高松城にて高松庄を領した高松左馬助頼邑は、天正13年(1585)4月26日、秀吉の四国征伐の一隊(宇喜多秀家ら7将の兵)約2万3千の攻撃を受け、手兵100人余と、香西氏派遣の唐人弾正、片山志摩の率いる兵、合わせてわずか200をもって勇敢に戦ったが、衆寡敵しがたく城兵一人残らず討死した。
高松頼邑・唐人弾正・片山志摩の墓は、喜岡寺境内にある。